ナルコレプシ

(この文章は、2007年9月25日の3番目の文章から続きました)

また見た。また見てもすげーよかったです。

映像の最後にクレジットが表示されるわけですが、そこに "RESPECT" として三つの作品が挙げられています。

  1. ドグラマグラ
  2. OMEGA の視界 OP MOVIE
  3. Scene[2] SENTENCE

一つめは夢野久作さんの小説で、その中から文章を多く引用したんだろうと思います。二つめは同人ゲームのムービーで、そのムービーで流れる楽曲がこの作品にも使用されています。三つめは Mirror さんの M@D で、画面の構成のしかたや文章の映し方、またところどころの構図なんかを踏襲したんじゃないかなと思いました。

リスペクト、あるいはオマージュ、あるいは何か他の言葉が使われるとき、それが言い訳として働いていることが結構あると思います。自分の中に必要な物がないために借り物でしか何かを作れない人がたくさんいて、そういう人たちが無理して何かを作ろうとするとそいうことになるんじゃないかなと思います。もちろんちゃんと確信的に用いられることもあるはずですが、その区別を傍目からするのは難しくて、結局のところそれがいったいどうなのかという判断をするのは、それぞれの人に委ねられるしかないんじゃないかなと思います。

で、この作品の場合はどうなのか。必要な手段として自覚的に用いられたものなのか、あるいはただの申し訳や飾りとして用いられたものなのか。もちろん僕にはわかりません。わからないんですが、見て思うことはあります。

三つめの Scene[2] SENTENCE は、たぶん、表現方法を決定する手段として用いられたんじゃないかなと思いました。作者さんはこの作品に必要な表現方法を理想として思い描いていて、それが Scene[2] SENTENCE のつくりならば実現できると考えたため、それを踏襲することによって理想を実現したんじゃないかなと思います。だとすれば手段として明確化されているわけで、いいことだと思いました。あるいは、作者さんが Scene[2] SENTENCE を好きで、単に Scene[2] SENTENCE っぽい作品を作りたいから踏襲してみたのかもしれません。いずれの可能性も、可能性自体はあると思います。

二つめの OMEGA の視界 OP MOVIE は、挙げられた三つの中で一番よく咀嚼されているんじゃないかなと思いました。つまり、元の作品の手法をそのまま持ってくるのではなく、元の作品から受けた印象を、作者さんがうまく自分の手法で作り出せているなと感じました。これに関しては、作者さんが "RESPECT" としてこの作品を挙げたことの方にこそ敬意を感じました。

一つめのドグラマグラは、正直なところ全然よくわからなかったんですが、繰り返し映される「胎児のゆめ」という言葉が、映像の内容や原作のシナリオの内容や表示される文章の内容やその他いろんな何かをすごいやる気で結びつけていて、これはすごいと思いました。このことがこの作品の最大の美点だという気がしていて、できればどうにか言葉にして文章を書いておきたいんですが、あまりに難しくてよくわからないのですごいとしか言いようがありませんでした。すごいと思います。理解ができないとき、すごいとしか言いようがないとき、それは肯定するしかないと思いました。

また、ある作品を別の作品の文章で物語るという超越的なマッシュアップ姿勢で、非常におもしろかったです。画像を音楽と組み合わせたり画像を画像と組み合わせたり音楽と音声を組み合わせたりという従来の M@D 的な感覚から一歩進んだものという気もしますが、すごい発想だなと思いました。これは新たな手法であり、また新たな手法のヒントになるんじゃないかなと思いましたが、よくわかりませんでした。よくわからないままでいいと思います。